2013年9月3日火曜日

さとううさぶろうさんのリーダー力と物づくり力


ファッションショーと講演会では司会をやらせていただきました。
奇しくも私の誕生日前日。アトリエのあさんの計らいによって、
うさぶろうさんからサプライズもいただいて、思い出深い一日でした。



月刊zero23に連載中のコラム「浅倉かおりのオシゴト日記」の書き下ろしです。

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手つむぎ、手織り、草木染めの天然素材を使った『うさと』という服がある。デザインは北海道生まれ、タイ在住のさとううさぶろう氏。プレタポルテから始まりベルギーでオートクチュールを手がけ、特別なメッセージ受けとる体験がきっかけで、現在は地球が持続していくための服づくりを行なっている。



うさぶろう氏が紅花染めに興味を持たれたことから河北町と縁が生まれ、4月はご本人の講演会とうさと服と紅花染の着物を交えたファッションショーが実現した。舞台経験者の方が何名かいるものの、スタッフのほとんどは地元の有志。ほとんどの人達が初めての体験だから、ちょっとした部分で行き届かないことが本番直前になっても出てきたりする。



かつて私も劇団に席をおき20年ほど副座長をやらせてもらい、こういうときは不安になったり焦ったりしないことが大事と学んできた。出来る範囲で楽しもうと口角を上げつつも、”わざわざタイから来られているうさぶろうさんたちに、なんだか申し訳ないな”と内心思っていたら、顔にも言葉にも出していない私に対して、氏が私の肩にぽんっと手をおき、「大丈夫ですよ」とにっこり笑ってくれた。


「ええ~っ、なんで分かったんですか??」と心の中で仰天しながらも、波動をキャッチされたのだな~と理解して、「ありがとうございます」と胸の前で手を合わせた。

後日ヘアメイクを担当したヘアウィズウォーターのAちゃんと会うと、彼女も「リハーサルもすばらしかったんですよ。みんなプロじゃないから分からないことが色々出てくるんだけど、うさぶろうさん、”じゃあこうしよう。それならこうしよう“って、誰のことも否定しないで進んでいく方法を提案していくの。自分のイメージ通りにならないことでイライラする時間の方がもったいないんでしょうね。ものすごく勉強になった」と話してくれた。

「もっと長く一緒にいたら惚れちゃってたかも(笑)」「分かるううう、それ。」と話はさらに飛躍し、男としての度量について盛り上がったのだった。

企業やプロジェクトの運営では、トップの指示に全体が努力して近づいていく方法が一般的だ。だけど方法論は1つじゃない。一人ひとりの力量の差を受け止めながらも全員が最大にやれる空気づくりができたら、消耗よりも達成の喜びが上回る。

やる気の個性を尊重するリーダー力、そして物づくりの本質が書かれた氏の著書『あいをよる おもいをつむぐ』もすばらしかった。どんなジャンルであれ、トップの立場や物作りを生業にしている人たちは読むべき1冊のように思う。商業ベースにのせていくことと、地球環境の問題って割り切らないといけないように捉えがちだけれど、融合できる方法があることも示されている。
たとえうさぶろうさんと同じ方法がとれないにせよ、自らのアイデアによって融合させていくことも、リーダーを自負する立場にある人達の役割ではないだろうか。

うさとの服で特徴的なのは、同じうさと服を来た人同時がばったり会っても、「あ、うさとですか?」「そう、うさとです」となごやかに会話ができること。一般的には同じブランドや似たようなコーディネートをしている、いわゆる自分とかぶっている人と街で会ったら、なるべく近づきたくないもの(笑)
ファッションは自己主張であり、唯一の自己を演出しているものだからそれでいいのだけれど、うさと服の場合はそれがない。私が行なっている瞑想会でもうさと服で参加される方は多いけど、みな「あ、うさとですね~」「だいぶ生地が馴染んできましたね~」などと、見せ合っている。かといってユニフォーム的にお揃いを楽しんでいるのとも違っていて、うさぶろうさんの言葉を借りるなら「服にエゴがないから」だそうだ。

ちょっと話はそれるけど、知人が過去世で仏像を彫る仏師の仕事をしていて、その作品が奈良のお寺にあるはずだとチャネリグができる人に言われたことがある。話しを聞いた友人が旅行に行ったとき、そのお寺のパンフレットをおみやげに買って来てくれて、本人に見せた。
おさめられている仏像の写真を眺めながら、「どれだか思い出せる?」と質問したら、本人いわく「いや、分からない。仏像は多くの人が手を合わせるものとして作るから、作り手のエゴが入っていたら本物じゃないんだよ。だからもう自分の作品としての記憶はないんだろう。」と言っていた。

うさぶろうさんの服もそうなのだと思う。一着一着にあらゆる宇宙の法則がデザインされているけれど、デザイナーとしてのエゴは投影されていない。だから、うさとの服を身につけているときは、不思議と心がフラットになれるのだ。

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