2013年9月26日木曜日

魚座の満月とフラワーエッセンス(ホリー)その2



差し入れしていただいた満月色のダリア。川西産です。



9月19日、魚座の瞑想会で出たもう1つのエッセンス「ホリー」。意外にも登場回数は多く、過去にアップした記事が3つ出てきましたので、こちらを参考にしてみてください。



「憎悪」「嫉妬」「嫌悪感」・・・。聖なるホリーというより、ホラーのような言葉の数々(苦笑)
なぜホリーの感情が生まれるのか。その1つの例をお話させていただきました。

日本人は「ノー」と言わない民族と表現されたりしますが、「その場がまるくおさまるなら」と、自分の領域(時間や感情、思想など)を相手に明け渡してしまうことがあります。ですが、誰もが自分の聖域を持っています。侵害されそうなときは「ごめんね。ここからは立ち入り禁止なんです」とはっきり伝えなければなりません。
しぶしぶ開放してしまった場合、「私だけが無理をしている」「私はこんなにがんばっているのに」といった我慢の感情が煮詰まって、やがて猜疑心や被害者意識にかられ、ホリーのネガティブな状態へと転化していきます。

肉体をともなって生きる人間であり以上、避けることのできないホリーの感情。光と闇が常に表裏一体であることを知り、内的な陰陽のバランスをとることがいかに重要であるか。
ホリーのメッセージは「愛」と「共感」。処方することで、私たちは自分のホリー(聖域)を大切にし、相手のホリー(聖なるもの)を尊重できるようになっていきます。


この日の瞑想会は、参加者の方からダリアの差し入れをいただきました。「満月だから、この色がいいなと思って^^」

エックハルト・トール著『ニューアース』の冒頭に、花についてのくだりがあります。

—私たちが花と呼ぶ香り高く繊細な存在は、他の種の意識の進化に欠かすことのできない役割を担いだす。人類は花にひきつけられ、魅せられる。人類の意識が進化するなかで、実用的な目的をもたない、つまり生存と結びつかないのに高く評価された最初の対象はきっと花だったに違いない。(中略)

イエスは、花について思え、そして花から生き方を学べと、語った。ブッタはあるとき、弟子たちを前に一本の花を掲げ、黙して語らなかったという。しばらくして弟子たちの一人、摩訶迦葉(マハーカッサバ)という僧が微笑んだ。彼だけがブッタの沈黙の教えの意味を理解したのだ。—


私たちはお墓参りに出かけるとき、当たり前のように墓前に花を供えます。食べ物は供えなくても、ろうそくと線香、そして世界共通のものとして花を欠かすことはないのではないでしょうか。6月に開催された『ツリーエンジェル』をテーマにした七歩子さんのセミナーでも、「花はあっちとこっちの世界をつなぐもの」というお話がありました。


光のお水づくり、そしてお彼岸に合わせたワーク(感謝の瞑想)を行なう日に、予定調和のように届いたお月様のように輝くダリア。自分自身の肉体への感謝にはじまって、家族、大切な人、御先祖様、そして大いなる存在へー。

「あっちの世界にいる星座」とも言われるセンシティブな魚座パワーとお花のおかげで、瞑想中はティンシャが繰り返し鳴っているのが聴こえた方や、意識体であちこちお出かけしてきた方もいらしたようで、魚座ならではの浮遊感とともに、愉しい時間となりました。


追記:この日は中秋の名月と重なった3年目の満月。中秋の名月は別名「芋名月」といい、なんとうずまき畑の里芋を頂戴しました。帰ってからさっそく満月にお供えし、パワーたっぷりの味をいただきました。
 


さとう農園さんの里芋。ふかしただけで充分美味です。

魚座の満月とフラワーエッセンス(オーク)その1


 

秋分の日を前にした、9月19日魚座満月の瞑想会。

集合エネルギーに出たフラワーエッセンスは、「オーク」と「ホリー」でした。
オークは「引き受け過ぎ」「自分の限界を知る」「本質を理解する」などがキーワードです。今回は、男性の参加者や社内でリーダー的な立場の女性が参加されており、その方むけに出たのかもしれません。

オークの人は「オレにまかせておけ」的な親分肌で責任感が強く、面倒な仕事も快く引き受け、周囲の人からも頼りにされる存在です。ですから、オーク的な気質が発揮されるほど世間の評価は上がることになり、本人の肉体的あるいは霊的な状態において消耗しているにもかかわらず、精神力でなんとかやり遂げようと奮闘します。

オークの詳細はこちらのサイトにもあるので、一読してみてください。


かつて広告の仕事をメインで行なっていた頃は、私もオークは大好物の1つでした(笑)
オークが出たときは、なんだか負けを宣告された気持ちになって、「そんなことないのになー」「特別がんばってる訳じゃないのにー」とエッセンスに反抗的になったりもしましたが、オークを飲むことで「今やるべきことは、何でも自分がやろうとするのではなく、分かち合うことだ」と、必要な役割について気付けるようになりました。


以前、オークのネガティブな状態である「引き受け過ぎ」がケアされた体験をしたことがあります。
SNSのフェイスブックを始めて2年位になるのですが、当初はメッセージがない方の申請も受け付けていたので、100人、200人とお友達” が急速に増え、いろいろな方のタイムラインにアップされる記事を読むことが日課になっていきました。
私のタイムラインに「いいね」をつけてくださる方もおり、やがて「いいね」をしてくださる方の記事だけでもきちんと読まないとーという義務感が生まれ、フェイスブックを開く度にすべての方の日記をこまめに読み、1つ1つに「いいね」を押すようになったのです。仕事中にもかかわらず、フェイスブックを何度も確認することがクセになっていきました。

人が引き受けるものとして、物理的な仕事の他に、エネルギー的なものもあります。以前七歩子さんのセミナーで、「東京では夜10時頃から電波が錯綜しはじめるのが分かります。SNSの普及によってみなさんがネットを立ち上げ、交流が始まる時間帯なのでしょう。いまこのセミナー中も、参加者のみなさんが携帯電話をマナーモードにしていても、誰かのところにメールが入って来たり、SNSにつながっていたり、何らかの関与があります。すべての電磁波やを完全にシャットアウトして過ごすことは、本当にむずかしい時代です。」というお話がありました。

ネットを立ち上げているだけでも、私たちにはさまざまな影響があり、肉体的、精神的、霊的な次元において負担を抱えている場合があります。

オークを飲み始めてからほどなくして、私はフェイスブックやその他のSNSをまったく見なくなってしまいました。それからしばらくすると、再びフェイスブックを立ち上がるようになったのですが、画面を開いた時点でパソコンの画面に出ているタイムラインの1〜2スクロール分だけを閲覧するようになり、使命感のようなものにかられて見ることがなくなりました。

週末や休日は目を休めるためにもパソコンは立ち上げないので、その間SNSはオフにしています。
親しい方々であれば、多少日記を見落としていたとしても「どうしてみないの?」などと怒ったりしないでしょうし、いまの時代、必要な情報は絶妙なタイミングでお互いに届くでしょうし。
急用の内容であれば、メッセージ機能やメール、電話というツールもあります。

SNSをビジネスツールにしている人もいれば、プライベートな交流の場にしている人もいるでしょうし、発信するタイプ、受けとるタイプと活用方法はさまざまです。

私個人はお友達の数を増やすことを目的にしていないので、申請もメッセージのやりとりをしてくださった方や知っている方だけにして、気軽な情報交換の場所として、ゆったりした気持ちで向き合えるようになりました。

この時期に出たオークは、関与について、自分本来のペースを取り戻すことを教えてくれたように思います。


次回、ホリーの説明に続きます。

2013年9月6日金曜日

乙女座新月の過ごし方とフラワーエッセンス(エルム&ゴース)



月山和紙をつかったランプシェードなど作っている
せいのまゆみさん作のキャンドルカバー。
山形県西川町にある「仙台屋」さんで販売しています。

今回の集合エネルギーにでたフラワーエッセンスはエルムとゴース。
たぶんエルムは2回目で、前回は7月の新月でした。

この日はペンプカープロジェクトin東北の準備に取り組んでおられた『にんげんクラブ』の方がご参加だったタイミングだったので、「なるほど、やはり」と思い、私にとってちょっと印象深い1本になっています。(そしてなんと、今回もご参加くださったタイミングでした^^

余談ですが、以前瞑想会にスピメン4名ご参加という記事をアップしたときに、「女性の集まりかと思っていましたが、男性も参加されるんですね」というメールをいただいたことがありました。
私にとっては、禅や東洋の修行僧しかり、ヨガの行者しかり、瞑想は男性の修練に行なわれているイメージがあったので、毎回たくさんの女性が集まってくださる光景を見ると、時代は変わったんだなー、まさに女性性の時代なんだなーと思います。
といってもクレストンの瞑想会しか知らないので、たまたまこの場所がそうなのかな?そういえば、NYの瞑想会に参加したときは、男女半々位だったかもしれません。
女性は直観力やフィーリング力があり瞑想も感覚的にすんなり行なえるようですが、直線的なエネルギーがある男性も日々の中で瞑想を行なうと、お仕事のときにより集中力も増すように思います。

エルムのタイプは、志が高く有能で、愛他主義者。ネガティブな状態のときは、一時的に弱気になり、責任の重さにおしつぶされそうになっています。
大きな課題や問題は、その人に見合ったレベルのものがやってくる訳で、必ず乗り越えられるのは間違いありません。ですからいっとき自分に休息を与えること、ゆったりとした気持ちで、自分の足元と自分の視界にある空を見上げることを教えてくれているように思います。

ある方のブログのコメントで、「ボランティア活動に従事するあまり、大切な家族をないがしろにしてしまう方もいますね。若い方だと親御さんが心配するほど熱中してしまう方もいます。」とありました。

やはりまずは身近な存在と自分を大切にしてこそ、地球も救えるのかな、と思います。自分と地球はイコールだし。


もう1つは、希望と絶望がキーワードのゴース。
ネガティブなときには、慢性病を患っていてどこかでもう何をしても無理だと思っていたり、なにか奇跡が起きて棚ぼた的に好転することを願っていたり、身に起きた苦難の出来事に対して、無意識にせよ意識的にせよ、真っ正面から受け入れがたい気持ちになっています。
エルムとのコンビネーションなので、「あきらめることなかれ」「希望を捨てずに」というメッセージもあるでしょう。

絶望といってもスイートチェスナットのように、「ありがとうやお念仏を100回いったら救われるのか??」というような絶体絶命の状態ではなく、ゴースがでたときは変化の時期を示していると言われています。もしくは変化に対して恐れず、自ら変化に飛び込んでいく時期にある、といった方が正解かもしれません。

長くもってきた古い感情や思考あるいはカルマに執着し、まだ見ぬステージから差し出されている橋を渡れず、最後の抵抗をしている感覚。ゴースのエッセンスはそこに光を当て、どんな運命であれ、最終的に引き受けるのは自分でしかいないことを教えてくれます。

エッセンスの現在の作り手であるジュリアン氏のブログで、凍った雪の中で黄色に輝くゴースの花の画像がアップされているのを見て涙がでてきたことがありました。
その頃の私は自分の女性性に対して受けいれがたい気持ちがあり、ちょうどゴースがでていたのです。

「観念することが負けることではない。」
そんなメッセージを感じとりながら過ごすことができ、いまは、内なる男性性と女性性がバランスをとるコツも得てきたように思います。


1回目の瞑想(グラウディング)の後は、新月のアファメーションタイム。
乙女座のキーワードは、「分析力」「人道的」「常識」「職人気質」など。洞察力にもすぐれているので、ジャーナリスティックな視点を持っている人も多いのではないでしょうか。細かな作業や処理能力にすぐれているタイプも多く、月星座が乙女座の女性は家事が得意とも言われています。

この時期にぴったりなのが掃除や整理整頓。いつもよりもテキパキこなせるエネルギーなので、上弦の月や満月までの間に、気になる資料やお部屋の片づけをするのがおすすめです。また自己分析するための内観の時間を持ったり、中期的なプランを立てるのもいいはず。
乙女座の他にもこの時期影響力のある星座について紹介されていたブログがあり、みなさんでシェアしたのですが、ゴースのメッセージとかさなる部分が多かった気がします。

後半は光の呼吸(みんなで呼吸しながら空間を浄化する、一石二鳥の呼吸法です)と、チャクラの色を使った瞑想ワークを行いました。1〜7までの色を順番にイメージしていきますが、うまくイメージできなかった部分があれば、詰まっているか開き過ぎているか、かも。
今はネットが普及し、随時電磁波や他者のエネルギー的な関与がある時代。ご自宅で瞑想する際、チャクラの色のイメージで聖域をつくる方法などもお話しました。

光の呼吸&チャクラの活性&差し入れにいただいたハーブティーの相乗効果か、「頭がぐるぐるまわった〜」「今日はなんだか眠くてしかたなかった〜」という方が何名かいて、ほどよくシータ波までいけたのかもしれないです☆

差し入れにいただいたジョンソンウィンターズティー。
浸透率が高いといったらいいのかな、
通常のお水よりも飲みやすく、すいすい身体入っていきました。



2013年9月3日火曜日

さとううさぶろうさんのリーダー力と物づくり力


ファッションショーと講演会では司会をやらせていただきました。
奇しくも私の誕生日前日。アトリエのあさんの計らいによって、
うさぶろうさんからサプライズもいただいて、思い出深い一日でした。



月刊zero23に連載中のコラム「浅倉かおりのオシゴト日記」の書き下ろしです。

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手つむぎ、手織り、草木染めの天然素材を使った『うさと』という服がある。デザインは北海道生まれ、タイ在住のさとううさぶろう氏。プレタポルテから始まりベルギーでオートクチュールを手がけ、特別なメッセージ受けとる体験がきっかけで、現在は地球が持続していくための服づくりを行なっている。



うさぶろう氏が紅花染めに興味を持たれたことから河北町と縁が生まれ、4月はご本人の講演会とうさと服と紅花染の着物を交えたファッションショーが実現した。舞台経験者の方が何名かいるものの、スタッフのほとんどは地元の有志。ほとんどの人達が初めての体験だから、ちょっとした部分で行き届かないことが本番直前になっても出てきたりする。



かつて私も劇団に席をおき20年ほど副座長をやらせてもらい、こういうときは不安になったり焦ったりしないことが大事と学んできた。出来る範囲で楽しもうと口角を上げつつも、”わざわざタイから来られているうさぶろうさんたちに、なんだか申し訳ないな”と内心思っていたら、顔にも言葉にも出していない私に対して、氏が私の肩にぽんっと手をおき、「大丈夫ですよ」とにっこり笑ってくれた。


「ええ~っ、なんで分かったんですか??」と心の中で仰天しながらも、波動をキャッチされたのだな~と理解して、「ありがとうございます」と胸の前で手を合わせた。

後日ヘアメイクを担当したヘアウィズウォーターのAちゃんと会うと、彼女も「リハーサルもすばらしかったんですよ。みんなプロじゃないから分からないことが色々出てくるんだけど、うさぶろうさん、”じゃあこうしよう。それならこうしよう“って、誰のことも否定しないで進んでいく方法を提案していくの。自分のイメージ通りにならないことでイライラする時間の方がもったいないんでしょうね。ものすごく勉強になった」と話してくれた。

「もっと長く一緒にいたら惚れちゃってたかも(笑)」「分かるううう、それ。」と話はさらに飛躍し、男としての度量について盛り上がったのだった。

企業やプロジェクトの運営では、トップの指示に全体が努力して近づいていく方法が一般的だ。だけど方法論は1つじゃない。一人ひとりの力量の差を受け止めながらも全員が最大にやれる空気づくりができたら、消耗よりも達成の喜びが上回る。

やる気の個性を尊重するリーダー力、そして物づくりの本質が書かれた氏の著書『あいをよる おもいをつむぐ』もすばらしかった。どんなジャンルであれ、トップの立場や物作りを生業にしている人たちは読むべき1冊のように思う。商業ベースにのせていくことと、地球環境の問題って割り切らないといけないように捉えがちだけれど、融合できる方法があることも示されている。
たとえうさぶろうさんと同じ方法がとれないにせよ、自らのアイデアによって融合させていくことも、リーダーを自負する立場にある人達の役割ではないだろうか。

うさとの服で特徴的なのは、同じうさと服を来た人同時がばったり会っても、「あ、うさとですか?」「そう、うさとです」となごやかに会話ができること。一般的には同じブランドや似たようなコーディネートをしている、いわゆる自分とかぶっている人と街で会ったら、なるべく近づきたくないもの(笑)
ファッションは自己主張であり、唯一の自己を演出しているものだからそれでいいのだけれど、うさと服の場合はそれがない。私が行なっている瞑想会でもうさと服で参加される方は多いけど、みな「あ、うさとですね~」「だいぶ生地が馴染んできましたね~」などと、見せ合っている。かといってユニフォーム的にお揃いを楽しんでいるのとも違っていて、うさぶろうさんの言葉を借りるなら「服にエゴがないから」だそうだ。

ちょっと話はそれるけど、知人が過去世で仏像を彫る仏師の仕事をしていて、その作品が奈良のお寺にあるはずだとチャネリグができる人に言われたことがある。話しを聞いた友人が旅行に行ったとき、そのお寺のパンフレットをおみやげに買って来てくれて、本人に見せた。
おさめられている仏像の写真を眺めながら、「どれだか思い出せる?」と質問したら、本人いわく「いや、分からない。仏像は多くの人が手を合わせるものとして作るから、作り手のエゴが入っていたら本物じゃないんだよ。だからもう自分の作品としての記憶はないんだろう。」と言っていた。

うさぶろうさんの服もそうなのだと思う。一着一着にあらゆる宇宙の法則がデザインされているけれど、デザイナーとしてのエゴは投影されていない。だから、うさとの服を身につけているときは、不思議と心がフラットになれるのだ。