2013年2月4日月曜日

菊池 貴子(きくち たかこ KIKUCHI TAKAKO)
197454日 【太陽星座・おうし座、月星座・てんびん座、八白土性】
山形県かみのやま市出身
お仕事?活動?:ヒーリングセンター&カフェの(一応)オーナー、旅人(ホントは旅芸人に戻りたいかも)

○小学時代:体が大きく頼りがいのある外見とは裏腹に、内気な小学生低学年を過ごす。だが、小4年で応援団に抜擢され大声を人前で出したら、自分も知らない自分を発見!人前で目立つことに快感を覚え始める。

○中学時代:体が大きいうえに、態度も大きく見られて大変な時期。中2年の夏休みに初めて1人でアメリカのスタディツアーに参加。参加者は私以外が都会の子供たちで英語に慣れる前に標準語に慣れる努力をした。その結果、帰って来てから学校で「貴子、変な言葉使いしった~。つかして~」と馬鹿にされる。(=つかして・・・とは山形弁で「かっこつける」という意味。いじわるな表現)

○高校時代:女子高に入ってしまい、先生以外全員女子の環境に初めての全校朝礼で気持ちが悪くなる。中学から始めたバスケットボールは国体イヤーのため練習量が半端なく、すぐに退部。その後、最近テレビで活躍中の演出家であり女優の「渡部えりさん」が所属していた演劇部へ入り、?代目かの後輩となる。
女子高だったので、女子のキャスティングはすぐ埋まってしまい、毎回男役。しかもありがたいことに公演後に花束をもらえるくらいの演技力になってしまった(女子高って怖い)。

進学校だったため、クラスメートに「勉強が趣味」という人種がいることを知り、勉強をさっさとあきらめて生徒会長になる。毎回、朝礼での生徒会長挨拶の代りに歌の披露ばかりしていた。

演劇部男役と歌の好きな生徒会長は、進学をするなら、日本じゃなく海外へ行きたいと決意。
留学がハシリの時代で、いろんな大学が海外キャンパスを各地に作る。
その当時大好きだったチェッカーズがロンドンでライブをした映像を観て、「行くならロンドンでしょ」と、あっさり決定。

○ロンドン留学時代:山形から一気にロンドンへ行ったことで価値観ががらっと変わってしまう。今まで感じていた日本での窮屈さもあっという間に脱ぎ棄ててしまい、現在の根本的な部分が出来上がった(と思う)。
最初の3か月は大変だったが、英語での授業が不思議と耳に心地よく、成績も悪くなかった。毎日時が止まればいいのに・・と願うほど楽しい時間だった。結果、8キロの減量に成功!
歌は相変わらず好きで、バンドのボーカルをしてライブを開催していた。

○音響専門学校時代:ロンドンから戻って、まだ何をしたいのか探したくて、劇団のお手伝いと専門学校へ通わせてもらった。8ミリ映画を作る面白さも覚え、今でも映写機など倉庫に持っている。映画三昧の幸せな日々。

*学校の紹介で、番組ADのアルバイトを開始。初めて担当したのは朝のワイドショーで昔よく見かけた、スタジオ内でのCM。歯磨き粉とか入浴剤とかを使いながら紹介するコーナーのAD。大変だったけど楽しかった。
そのままその制作会社に就職が決まった時、父の第1回目の癌が発見され、旅館を手伝うため山形へ戻る。

○名月荘:両親がやっていた旅館業を手伝い始める。人に会えることは楽しいものの、自分のバランスが取れなくなっていく中で、自分の前世が「旅芸人」ということを知り、それを理由に年に最低2回は国内外の旅に出始める。
同時に「心のバランスをとる」ことをフラワーエッセンスから学んでいく。

○ヒーリング:初めてのセドナで滞在した『ヒーリングセンター』の居心地の良さを自分でも作り出したい!という夢を見つけ、現在山形に「ヒーリングセンター&カフェCRESTON」をオープン。フラワーエッセンスの勉強会や個人セッション、占星術、新月&満月の瞑想会などを開催しながら、日々いろんな方との時間を過ごす。

20134月からは念願の留学(遊学?)のため、イギリスへ。
フィンドホーンをはじめ、本場のスピリチュアルコミュニティーを体感してくる予定。
healingcenter & cafe CRESTON のホームページ 
http://hccreston.blog.fc2.com/


米沢政美(よねざわ まさみ/ YONEZAWA MASAMI)

19606月5日【太陽星座:双子座】
長男として誕生。妹二人。
福島県南相馬市出身(旧原町市)

仕事:
・ヨネザワ考房(屋号)コンサルティング事業 2002年~
NPO法人食農いのちサポート広場 理事長     2010年~
・東京港区青山に事務所を置く旅行会社㈱ピコ 2011年~
・2013年〜

○小学時代:5~6年 演劇部 主役をはる。でも11才で、おじいさん役!(発表会までは、日夜ふとん入りながら、せりふ暗記に励んだものです。)

○中学・高校時代:軟式テニス部(前衛)、ブラスバンド、硬式テニス、バレーボール、写真部、英語研究部など。飽き易い性格が災いし、どれも長続きせず。

○大学:青山学院経済学部。ESS、テニス同行会所属。(でも、場所柄?実際は、勉強せず、渋谷・六本木、表参道を庭とし、遊びまわる日々を送る。)
3年の時、南米一人旅に出た寮仲間の影響を受け、私も行ける!とアメリカ一人旅を決行。
この時に、アメリカの大自然とそこに住むアメリカ人の懐の深さに感動、インスパイアー。旅行会社で、必ず、ツアーを作り、アメリカへ戻ると決意。
(入社5年目、バブル景気を味方とし、大型金融ミッションで、アメリカ企画、添乗実現!)

就職:英語が好き、旅行が好きという単純な理由で、多分倒産しないだろうと、野村證券グループのハウスエージェント、野村ツーリストへ入社。(しかし、会社は、2002年にJTBとアメリカの合弁会社JTBビジネストラベルソリューションズに営業譲渡され、消滅。)

入社5年目に、旅行主任者の国家資格取得。30才で名古屋へ次席として転勤辞令が出て、地方勤務経験。88ヶ月の長きに渡る。ここを拠点に、プライベートは、中部、関西、四国、九州など旅三昧。仕事でも、アメリカ中心に企画、添乗もしまくる。名古屋時代に1999年大手出版社へ全国を対象にしたアメリカ募集企画を提案、採用され、これがヒット商品となり、社長賞受賞。本社に戻り、1年後の2000年自己都合により、退職。
その後、ヨネザワ考房として、営業企画・マーケティングのコンサルティングスタート。JTB、近畿日本ツーリストの海外視察・研修テーマのアレンジ・コーディネート受託事業。また、大手外資系の総代理店業務を手掛ける名古屋の企業から業務委託を受け、活動。約7年間従事後、離れる。



*2008年友人を連れて、久し振りにゆっくり郷里に戻った際、その自然の豊かさ、食と農家民宿体験で、またまたインスパイア。地域活性化のためにも旅行業に戻るというイメージがわく。同時期、山形生まれの映画「おにぎり」のプロデューサーに出会い、ロケ地である山形の行き来で、ますます食と農業、いのちへの関心が強まる。その活動推進のために、2011年にNPO法人を登記、これからという時に、出張中の山形で、東日本大震災にあう。その年、ふくしま支援のNPO会員の方と、ウクライナ(チェルノブイリ)視察ミッションの話が持ち上がり、その準備のために、旅行業復帰を決意、201112月から、旅行会社の㈱ピコと契約中。


また、「東京宇宙クラブ」も新たに主宰、スタート。「東京宇宙クラブ」では、21世紀最後のフロンティアである宇宙に思いを馳せ、最終的には、大気圏を抜け出す本当の宇宙体験を目指します。それまでに、他では学べない特別勉強会、ユニークな国内外の体験プログラムを提供して参ります。当クラブは、「エンターテイメント性」に価値を置き、みんなで、わくわく、楽しく!がモットーです。ぜひ、隣人の宇宙人をお誘い合わせの上、ご参加下さい。



http://www.facebook.com/yonezawa.masami