2013年3月6日水曜日

自分とは何かを考えるために。


月刊zero23に連載中のコラムの書き下ろしです。

☆2013年2月号☆


あるワークショップで、
「時代によって生き方が変わる」という話題がでた。
旧石器時代に始まって、縄文、弥生、時は流れて平安、鎌倉・・・、
江戸、明治、大正、昭和、そして平成の今。

もしもあの時代に生まれていたらー、
物ごとをとらえる価値観もまったく違っていただろう。

結婚観を例にとってもしかり。
一夫一妻の婚姻が制度化されたのは明治時代。
私の祖母も明治生まれだったから仲人によるお見合い婚。
とはいえ選ぶ権利などなかったはずで、
かつては本人の意思ではなく双方の親が
結婚の約束をしておく「いいなずけ」もあった。

私の友人から聞いた話では、
近所のばあちゃんは結婚式の当日に初めて夫の顔を見て、
「わりと男前でほっとした」と言っていたらしい。

もう人柄とか趣味とか学歴とか年収とか、
本人の趣向などおかまいなしの時代。

さらにそれ以前はどうだったかというと、
なんと「集団婚」だった。
共同体のなかで複数の男女が婚姻関係を結ぶシステム。

全国各地で広く行なわれ、
昭和30年代にも名残がみられる土地があったとか。
しかし乱婚という訳ではなく、ムラによってはルールもあり、
本人の合意があってのこと。
集団を維持していくための全員参加型。
皆が充足する婚姻形態なのだ。

ある人のサイトでは、
「日本人の分かち合い精神はこうした共同性の背景があるからだ」
と説いていたー。
だからといって集団婚の復活を提唱したいとは思わないが、
もしも明治以前に生まれていたら、
結婚とはこのようなものなんだと、私もたいした疑問も持たずにいただろう。
子どもにとって家族が宇宙であるように、
人は今いる自分の環境が全世界のように思ってしまうから。


つい熱が入って前フリばかり長々と書いちゃったけど、
何をいいたかったかと言うと、
人の思考や心は周囲の教育や環境、価値観で作られてしまうということ。
だけれど本質は普遍的で、生も死も超えたところにあるということ。
それを見つけていくのが人生なのだと、
2013年春分の季節に思うのでした。

次号へつづく(かも)。

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